8月
毎年、季節の決まりごとのように取り上げられる話題があります。
「戦争」
「戦没者」
「靖国参拝」
「終戦記念日」
それらの話題は、そろそろ残夏の霧のように秋めく風に消えていきます。
「戦争を知らない子供たち」という歌が昔ありました。
終戦から1年後に生まれた私は、その第1号と言えます。
父が戦地の中国から帰った後に生を受けました。
私の父は戦争をあっけらかんと語っていました。
「配給の酒より、饅頭が好きだから交換した」とか、
「部下をなぐれと言われて、仕方なくポコンと叩いたら、
その何倍も殴られたっけよ」とか、
笑い話で語ることが多く、私にとって戦争はその程度の知識でした。
戦争の恐ろしさをを本当に知ることになったのは、結婚してからでした。
舅である夫の父親も出征し、中国の奥地を行軍中に病気になり、
行軍から外されたそうです。
食料や必需品を、略奪しながらの行軍ですから。弱って置き去りにされた兵士が
どんな目に会うのかは想像ができます。舅は33歳でした。
5歳、3歳、0歳の子供と妻、両親、弟妹を養う家長でした。
ここに数枚のはがきがあります。
戦地から舅がこどもたちに宛てたカタカナ書きのはがきです。
「○○子(長女の名前)、ジヲオボエテオトオサンニテガミヲカキナサイ」
「オトオサンハゲンキデス。ホカノヘイタイサンニハマケマセン」
「○○(夫の名前)、バリキ(馬の引く荷車)ノウシロニノルデナイゾ」
「ナニカコマッタコトアレバシラセヨ」
遠い大陸の奥地から「困ることあれば知らせよ」と、
家族を案じていた父親を戦争は殺しました。
ウクライナはじめ、今も戦禍の中で、親を失った子たちの悲しみと恐怖に
心が痛みます。
どうか、一日も早く、すべての子供たちの心が安心と幸福感に満たされますように。